動画には2種類のクオリティが存在する
テクニカル
美しい映像、面白い企画、ハッとする演出などを見て、私たちは「クオリティが高い」と感じると思います。では、動かさなければいけない視聴者の心の幅が小さい場合、クオリティは低ければいいかというと、そうとも言えません。そもそもクオリティという言葉の意味がたいへん曖昧なのです。動画活用を命じた上司が完成した動画を見て、「これクオリティ低くない?」といったとしても、確固たる基準があってそういっていることはほとんどないでしょう。
ビジネスでクオリティという言葉を使うとき、私たちは「製品の品質」を思い浮かべるでしょう。例えば自動車のクオリティは、A地点からB地点へ移動できること、長時間乗車しても疲れないシートであること、少々のでこぼこ道の衝撃を吸収してくれること、燃費がいいことなどの要素が思い浮かぶでしょう。
また、一般的には何か基準となるものと比較してクオリティが高い・低いを考えます。ビジネスで動画活用する場合、多くの人は生活の中で頻繁に目にして来たテレビCMやテレビ番組を基準としています。古い世代ほどこの傾向は顕著で、新しい世代はYouTubeやTikTokなども基準にします。
企業そのものや製品を紹介する目的でテレビCMがつくられているわけですから、何か動画をつくろうと思ったら「あのCMのような」と思い浮かべるのは当然のことでしょう。テレビCMがその製品に興味のない視聴者の注意をひくために、プロが技術や専用機材を駆使して制作します。魅力的に製品を伝えるためのシナリオや構成、対象を引き立てるための照明や音声、小道具などを使ったさまざまな演出などCMのクオリティとは数多くの要素を高いレベルで実現したものの集合体なのです。テレビCMは動画のクオリティの最高峰であり、私たちがクオリティが高いと感じるものはそうした高みにある「技術」にあると言ってもいいでしょう。これを「テクニカルなクオリティ」といいます。
ではこうしたテクニカルなクオリティが高くないと、動画を制作・活用して目的が果たされないかというと、そんなことは無いと思います。動画を使用する目的や関係性によって、動かさなければいけない視聴者の心の幅は変わりますよね。関係性や文脈が低い場合は視聴者の注意を引き付けるテクニカルなクオリティが高くない動画でも十分に効果を出すことができるでしょう。ただし、カメラに収めた映像がブレブレで、音もちゃんと入っていなくてもいいかというとそうではありません。テクニカルなクオリティとは異なる、別種のクオリティがあるのです。それが「オーセンティシティ」です。現代は本物らしさが重要ということです。
なぜ素人が作ったような動画が注目されるの?
オーセンティシティとは、必ずしもクオリティが高いとはいえない、素人が作ったような動画がYouTubeで何十万、何百万回も再生されている事象に注目した、当時YouTubeのトレンド&カルチャー部門の統括責任者を務めていたケビン・アロッカが提唱した概念のことです。アロッカはYouTubeでバイラルする動画には、テクニカルなクオリティが高くないものが多いといいました。寄をてらった再生回数目当ての過激で社会的に迷惑な動画ではなく、今や日本でも多く見られるようになった食玩などの「開封の儀」、ビデオゲームの実況動画など、さまざまな種類の動画を紹介し、それらの動画のほとんどはアマチュアが制作しているものだと分析しました。
照明技術や編集技術などが決して高くない動画がバイラルする理由を、アロッカはアマチュアたちが自然に持つ「誠実さ」から生まれたと指摘し、こうした動画が共通して持つ特徴を「オーセンティシティ(本物らしさ)」と表現し、オーセンティシティが求められる・評価されている背景には、視聴者が日々目にするテレビCMや動画広告などの誇大表現やつくり込みすぎた動画に対する不信感があると彼はいい、つくり込むことによって視聴者に「それは本当なの?」という疑念を抱かさるパラドックスが起きているといいました。